2005年05月22日

算数演習の意義を教える

明日提出するレポートです。
なぜか水力学の講義の時に教授が気まぐれで出した課題なんですが。
みなさんは小学生に、
「足し算の意味は分かったし。
後は計算機があるんだから、計算練習なんていらないじゃん」
とほざかれた時にどう対処するでしょうか。

続きは、書いたレポートそのままコピペなので、
ちょっと読みにくいかも知れないです。
よろしければどうぞ。

 足し算等の演習問題に疑問を呈する児童にいかに対応するか。
 まず、前提として了解しなければならない事実を確認する。
小学生が学ぶ算数は数学とは違い、
日常生活を営む上で必要な知識がほとんどである。
したがってその概念のみを理解しているだけでは明らかに不十分だと言える。
 仮に四則計算の概念のみを指導したとしても、
具体的な演習を伴わない場合、定着率は極めて低いと予測できる。
計算機、コンピュータ等を使用すれば答えを導くことは可能であるが、
自分の手で答えを導くことのできる者が手順を省略する目的でそれらを利用する場合と、
計算演習不足を補うために利用する場合とではまったく意味が違ってくる。
 ここで児童に納得させるべきことは「わかる」と「できる」の違いなのである。

 「わかる」と「できる」に大きな違いがあることは、
実際に学んできた者の多くは経験済みであろう。
わかっているだけでは、実際に問題を前にした時に答えを出すことができない。

 また、自力で解答できるようになってはじめて、
「解った」と判断するものであるということは、
教職に就く者であれば誰でも認識していなければならない事実だ。
 つまり厳密に言うならば、
四則計算の概念のみを知り「わかった」としてしまう児童は、
実際にはその概念すら理解できていないと判断できる。
計算機が答えをはじき出す際、
その答えに至る思考回路まで表示されることはあり得ない。
たとえば「+」という概念を「増える」と理解して演習を省略した児童は、
「×」を学ぶ際につまずく可能性が高い。
 計算機に表示される答えは、どちらも増加を示すのだ。

 極論を述べてしまえば、計算演習自体が重要なのではない。
演習によって得られる思考が重要なのである。
 99+53を計算機に入力すれば、
一瞬で答えは152と表示されるだろう。
 この計算を、人間はどう思考するか。
演習不足、あるいは未経験の児童は、
おそらく99に順に数字を加えていくだろう。
筆算を知っていれば、9+3=12、
1が繰り上がって9+5+1=15
よって答えは152であるという計算である。
 しかし、一定以上の演習をこなした者であれば、
計算機に数字を入力する時間の半分以下で、答えを導くことが可能である。
99に1を加えて100とし、そこに53を加える。
153となり、最後は加えた1を引けばいい。
 つまり(99+1)+53-1=152とする思考回路である。 
 演習によって養われるのは計算能力だけではない。
計算における発想、いわゆる応用力である。
これは一朝一夕に身につけられるものではなく、
ましてコンピュータに計算させることで演習を避け、
思考を放棄した者には決して得ることのできない能力であると言える。
そもそも、思考能力のみが人間を人間たらしめているのである。
人間だけが抽象概念を思考し、理解することができる。
コンピュータは一瞬で複雑な計算の答えを導くが、
自ら考えることはできない。コンピュータが計算できるのは、
そのようなプログラム(命令)を人間が先に与えているからなのだ。

 さて、ではこれらのことを児童に説明し、
納得させるにはどうすれば良いか。
 むしろここからが本題であるとしても過言ではない。 
 まず小中学生は抽象的な思考に慣れていない
(ともすれば抽象の概念すら理解していないだろう)ことを考慮するに、
上記のことをそのまま述べたとしても理解されることはまずあり得ないだろう。

 そこで必要になってくるのが、いわゆる具体例である。
 四則計算の概念、計算演習を解りやすい具体物になぞらえて説明するのが、
最もポピュラーな手法であると考える。

 一例として、以下にその方法を述べる。

①ガラスのコップに○○ジュースを入れて、
児童に飲ませる、あるいは飲んだと想像させる。
(原則として、すぐには何かわからない果物や味のもの)
②これは○○の味であると教える。
③児童は、わかりました。と納得するしかない。
(未知の味だから当然である)
④児童に、では○○の元の形を描いてみなさい。
と問題を出す。確信を持って描く児童はいないはずである。
⑤でもさっき、○○の味だと教えて、
あなたはわかったと言いましたね。
なにがわかりましたか。と質問する。
⑥味が分かりました。としか答えられないだろう。
⑦○○の加工前の現物を見せる。
「これが○○です。いいでしょうか、
足し算のやり方がわかったというのは、
○○の味だけがわかったと言うのと同じです。
本当はどんな形をしているのか、どこで取れるのかはわかりません。
でも、それを知らなかったら、
みんなはもう一度このジュースを飲みたくなった時、
○○を買いに行くこともできません。
もしまわりに、○○のことを知っている人がいなかったら、
手がかりは味だけです。
この味だけで○○を説明するのは大変ですね?」

 これは、四則計算の概念を○○ジュースに、
計算演習を○○の現物を描くもしくは探す方法に、
○○を知っている人を計算機に置換して説明したものである。
 もちろん、これは大まかな流れである。
 ちゃかす児童もいるであろうし、脱線することもあり得るだろう。
しかし、本当に「なぜ計算演習をしなければならないのか。
計算機を使った方が早いのではないか」
と思っている児童には有効な説明ではないだろうか。


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Posted by SAKI at 18:47│Comments(0)教育
 
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