2005年04月17日

この塾に決めたわけ

日本には学習塾が溢れかえっています。
近所にも山ほどあります。
で、私が今の塾をバイト先に選んだ理由は何か。

はじめて給料もらうまで、自分の時給確認すらしませんでした
形だけ、といって呼び出された面接では、
なぜか30分以上待たされました
研修らしい研修もありませんでした。

それでも、別に良かったんです。

受験当時、高校生部の専任講師に、
ありえんくらい世話になったから。
というのが単純な理由です。

鶴の恩返しじゃありませんが、
私で力になれるなら、と思ったわけです(万年人手不足なので)



そもそもどれくらいお世話になったのかというと、
まず、高3の夏頃、妹の紹介でのこのこと出掛けていって、
「英語の成績と数学の成績がさっぱりなんです」
と相談。

入塾試験をとりあえず受けたんですが、
なんと数学、100点中8点でした。
一桁かよオイ!
と、さすがに自分のアホさ加減に呆然としました。
ちなみに英語は34点。
で、そんな成績だったんですが、私は宣言しました。

「某国立大、行きたいんですけど……」

もうちょっと力つけてからおいで~。
と爽やかに追い出されることを覚悟でした。
(つか、成績見るにお話にならないレベルでしょう)
でも、その先生は、真顔で言いました。

一緒に頑張りましょう

むしろ私のほうに悲壮感がただよっていたように思います。
何しろ、家から通える国立=関西圏の国立です。
判定は軒並みE。
どないせーっちゅーねん。という状態でした。


で、面倒見てもらいはじめたんですが、
なにしろ英語も数学もどん底に限りなく近い成績です。
他の人と一緒に授業を受けてもサッパリな部分が多かったんですね。
仕方ないので、分かりません、と授業後泣き言を言いに行きます。
そうすると、
じゃあこれやってみようか。
という感じで、基本的な問題集を使って補習してくれたりしました。
(無料奉仕でした)

数学に至っては、色々事情があって集団の授業時間が噛み合わず、
本当なら個別指導に回されるところを、
数学担当の先任の先生が、時間を割いて、
集団扱いの個別授業をしてくれたりしました。
(授業料がまったく違うんです)

そんなこんなで、なんとか成績も上向き始めたんですが、
本番で失敗しました。

センター試験、英語も数学も、
200点満点中100点を切ってしまいました。
得意なはずの国語まで失敗するという、どうしようもない状況です。
点数を塾に報告した後、呆然として、しばらくご飯も喉を通りませんでした。

で、その報告をした夜、数学担当の先生が電話をくれて、
数学、すまんかったなぁ、と謝ってくれました。
むしろ謝るのはこっちです。

自己採点の結果、ボーダーを36点、下回ってました。
ボーダーというのは、ご存じの方も多いと思いますが、
この点数であれば五分五分の確率で合格するでしょう。
というぎりぎりのラインです。
36点も下回るとか、論外というか問題外というか、
もう終わり、といわんばかりの状態です。
判定も、Fに限りなく近いEです。

でも、私は浪人したくなかったし、この期に及んでまだ、
第1志望の国立に突っ込む気でいました
高校の担任は、あきれかえって、
最終面談ではその大学の話題に触れもしてくれませんでした。
(あたりまえですが)
まだA判定でてる大学もあるから。
と、まったく考えてもいなかった学校の話ばかりなので、
「すみません。でも行きたいんで、前期後期両方、第1志望に出します」
と、担任の話を途中でぶった切りました
担任、青ざめて焦りながら早口で思いとどまらせようと説得してくれました。
結局、
「わかった。前期か後期どっちかで記念受験するのは良い。
でもどっちかはA判定でてる大学を受けてくれ」
ということで話が決まりました。
担任も必死というか投げやりというか。

とても後期対策をお願いできる雰囲気ではありませんでした。

で、塾に行ったわけです。

「こんな成績で、2次試験の点数配分も、
センター800点、小論文300点なんですけど、
でも受けたいんです

英語担当だった先生は、やっぱり真顔で言いました。

一緒に頑張りましょう

数学担当の先生も言いました。

「俺も時間作って(小論文)見るから」


かくて、小論文対策の授業をとり、
その授業が終わった後も、週に2,3本のペースで添削してもらい、
ネタの集め方やら、はったりのかまし方、猫のかぶり方など、
色々教えてもらいました。
参考文献まで買ってきてもらいました。
時間外に見てもらった合計時間の方が、
正規の授業時間よりも明らかに多かったです。

で、なんとか2次試験本番、これは満足のいく小論文を書き上げることができました。
そのまま、後期対策の授業も取ってました。
(日程が後の私立とか、そのへんの)


合格発表の日は、張り出してある場所まで歩く足が震えてました。
自分の番号を見つけた時、何かの間違いかと思いました。
(実際、父親なんか家に帰ってから、
「やっぱり見間違いかも知れへん。もう一回見てくる
などと失礼なこといって、私の友人まで連れてカメラを持って、
本当に2回見に行ってしまいました)

私は真っ先に塾に報告の電話を入れました。


その後、バイトの誘いを受けOKしました。

点数開示制度があったので、もちろん開示してもらいました。


小論文は、ほぼ満点という点数を叩きだしてました。

だから私は、バイト先を他と比べもせずに即決したのです。


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